裏切り

 NO.15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サラサラと衣擦れの音をさせて、御簾越しに彼と相対する。

 

かちゃりと白銀の鎧を鳴らし、平伏する彼は、美しい人。

 

 

 

 

彼の刃には多くの民の血が。

 

 

彼の手には多くの民の血が。

 

 

 

 

 

 

そのようなもの全てが感じられないほど怜悧で、高尚で、美しい。

 

 

 

「此度は、特に拝謁の機会を戴き、有難く存じます。」

 

 

 

形の良い唇から発せられる言葉には訛りもなく、流麗な音が紡がれていく。

それは漣の様に、時に閃光のように私に伝わり、胸を打つ。

 

 

「持って回らなくてもよろしいのです、光秀殿。

 …此度は私が無理を承知で貴方に逢う事を望んだのですから。」

「ですが、貴女様は高貴な御身に御座います故…。」

 

小さく私が嘆息すると、相手にもその空気が伝わったのかもしれない。

 

居ずまいを正し、真っ直ぐにこちらを見てくる。

御簾越しであるのだから目が合う筈は無いのに、何故か目線を下に落とす。

 

「此度、私が貴方を呼んだのは、他でもありません。」

「例の件…で御座いますね。」

 

 

明智光秀…彼は賢く、彼に着いて来る腹心も多く居る。

才知に長けた彼を象徴するかのような戦い振りは、彼の主人とは全く異なっていた。

 

狂気を宿らせたかのように次々と圧倒的な数と力で相手をねじ伏せる、

自らを第六天魔王と称した、織田 信長。

今は恭順を取ってはいるが、いつ「ここ」とて食い潰されるか分からない。

 

そんな信長殿に恐れをなした我々は、信長殿の裏をかくことの出来る、

また、我々がこの世を安寧に導くための「傀儡」として選んだのは彼であった。

 

 

 

後の世の言う、本能寺の変を彼に謀らせるのは、まごうことなき我々。

 

 

「父上の密勅が下ったというのは、本当ですか。」

「…いえ。勅という形では戴きませんでした。」

「ですが、話はあったのですね。」

 

重苦しい雰囲気が漂う。

口元を隠した扇子の要がきしりと音を立てるのさえ響くような静けさの中、言葉はない。

 

「どうなさるおつもりです。父上の勅となれば、逃れるわけには参りません。

 貴方には…主を裏切るご覚悟がおありなのですか?」

 

 

光秀殿は言葉を発さなかった。

 

 

当然のことだとは分かっている。我が父、帝の勅を受けて拒めるものなど無きに等しい。

朝廷の力は確かに、衰えているかもしれない。

しかし、支配者としての機能の衰退した今、かつての支配者としての権威は増大している。

 

 

だからこそ、この権威を利用して今一度、帝を中心とした、中央集権を狙っているのだ。

 

 

私は、そうは思わない。

歴史の流れは止められぬ。

そう。どんなに足掻いても、大いなる時の流れに朝廷は取り残された君なのだ。

 

 

「光秀殿、私は力のも知もない内親王の身。世間知らずというのにも程があります。

 ですが…私もこれだけは思うのです。

 光秀殿は…斯様なことに騙されるほど愚かではありません。

 どうぞ、信長殿の元にお帰りになられてください。」

 

 

 

 

 

 

 

―――…これは、私個人の願いに御座いますが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな部屋に、大きく響く小さな呟き。

 

御簾が小さな吐息に揺れる。

 

 

幾度の鳥の囀りが聞こえたか分からないくらいの時が過ぎてから、彼が口を開いた。

 

「いいえ。」

 

何の「否」なのか分からず、私は黙り込んだ。

すると、少しだけ彼は身を乗り出して進言し始める。

 

「信長様は確かに天下をお取りになられる。…しかし、それは民を屈させた上で成り立つ

 力による天下です。…それは、悲しみを生む危うい天下でもあるのです。

 もし信長様という方を失えば、その天下は滅びし武将と同じ命運が待つでしょう。」

 

そこまで言ってから、再び口を閉ざした。

そして何かが吹っ切れたかのように立ち上がり、

 

 

「ご無礼をお許し下さい、様。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が起こったのか分からなかった。

 

 

 

突如目の前を覆った黒い絹のような長き髪。

 

 

 

布越しに触れる硬質な鎧の感触。

 

 

 

 

 

「っ…。」

 

 

余りの動揺に声も出せず、ただ為されるがままになっていた。

 

 

「…私は、身に余る想いを抱えてしまったのです。このような想いは切り捨てなければと

 日々思っておりました。叶わぬ、身分違いの想いなのですから。

 ですが、本日貴女様からの命を受け、沸き立つ己の心があったのは…偽れません。」

 

自分の耳が都合よく相手の言葉を組み替えているのではないかと疑うくらいだった。

 

「光秀殿…。」

 

小さく呟いた声が、相手には咎の声に聞こえたのであろう。

ゆっくりと身体を離し、その場に平伏する。

 

「申し訳御座いません、内親王様。」

「…いえ……。」

 

扇で顔を隠し、朱の走る頬を隠す。

 

「今の行動はけして、出来心では御座いません。申し上げたのは、私の本意に御座います。

 …ですが…なかったものとして、どうぞ即刻お忘れ下さい。」

 

 

 

 

 

 

忘れる…?

 

 

 

出来るものだろうか。

抱きしめられた事がある殿方は、昔に父上と兄上にだけ。

 

 

 

 

 

まして…好いた殿方。

 

 

 

忘れられるものか…。

 

 

 

 

「光秀殿。」

「はっ。」

 

平伏したままの、その顔が見たいと思った。

美しいあの表情が、どんな色を浮かべているのか。

 

 

私と同じ朱であれば、いかほどに嬉しい事か…。

 

「面をお上げなさい。」

「……はっ。」

 

 

ゆっくりと黒に染め抜いた絹のような髪が、衣擦れのような音を立てる。

白磁に塗られた雛のような麗美な面が、ほんのりと色づいているように見えた。

 

「…これは…咎を受ける行為なのでしょうか…。」

「…内親王様?」

 

今度は私から、彼の胸の内に飛び込んだ。

遠い昔の絵巻物に書かれた物語。

それさえも色褪せてしまうほどに劇的な展開。

 

 

 

 

 

「貴女をお慕いするのは…裏切りという罪なのでしょうか…。」

 

「…様…この想いが罪ならば、私も喜んで咎を受けましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥の羽音が聞こえた後、残るのは静寂だった。

 

まるで、咎を受ける前の最後の一時のように静かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏切りでもいい。

 

 

 

 

 

 

この世の全てを裏切ったとしても…

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、このお方と共に在りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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後足掻き

お、終わった…(汗)詰めの部分に悩んで数時間…やっと完成。今回は内親王と光秀の

ある意味禁断の恋…です。何でこんなのを書こうかと思ったかというと、ある文献を見て、

光秀の謀叛は信長に侮辱されたための単独行動ではなく、裏で糸を引く人物が居て、その

人物が朝廷にいる…というようなのを見て考え付いたのです。飽く迄真実ではないので

あしからず。そうそう…本文でヒロインは分かりやすく「光秀殿」と呼んでいますが、

本来なら官職で呼びます。日向守殿なら分かるかな〜とも思ったんですが、ドリなんで。

一応名前で呼ばせておきます☆

 2004・7・23 月堂 亜泉 捧

 

 

 

 

 

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