剣一人敵

 ――月に群雲 花に雫――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だったわね、光秀。」

「いえ。では、信長様をよろしくお願いします、姫君様。」

 

黒く艶のある髪が、さらりと音を立てるように光秀の肩口から落ちる。

その髪を、白く細い指が掠めた。

 

「光秀。あの人の事よりも、もっと気がかりな事があるんじゃなくて?」

「…。」

「ふふ…貴方は真面目だから、そう考え込んでしまうのかしら。

 私ならば、ただ心のままに生きるわ。

 そう…うつけと呼ばれる最高の男の元へ嫁いだ、私ならば…。」

 

妖艶に微笑む信長の正室、濃姫はふわりと着物の袖を翻す。

 

「愛しているのなら、決して己の中から離してはいけないわ。

 乱世でも、平和な世でも、それは変わらぬことよ。」

 

濃姫の足音が遠ざかっていく事をただ黙って見送るしか、今の光秀に出来ようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、ご苦労であった。」

「では、私はこれにて。」

 

たった今、布陣の情報を得てきた間者が、長政に事細かく概要を伝えて去る。

広げたのは、姉川付近の地図である。

姉川南方に、朱の字で織田方の武将が名を連ねている。

そこには勿論、蘭丸、そして光秀の名もあった。

 

「道が狭く、まともに戦える場所は少ない。だが、各所に兵を配置し足止めすれば、

 どこかの部隊が切り込む事も可能であろう。一番の問題は、中の大橋だ。」

 

姉川にかかる橋で一番大きい橋は、東西南北全ての方角に進軍可能だ。

ここを押さえられては少々戦況も不利となる。それを織田方もよく心得ているのだろう。

大橋には、今や信長の懐刀と名高い明智光秀の文字。

 

「…ここを攻める者として、私は殿を推挙したい。」

 

ざわっ、とその場が揺れる。

無理もない。織田軍には劣るが、浅井・朝倉とて勇猛で屈強な武将は数多居る。

それなのに、一階の武士、しかも女武士に重要な場所を一任するというのだ。

 

「静まれ!…――殿は男にも負けぬ技量の持ち主。それはおぬしらも知っておろう。

 その上、我が妻、お市の命を幾度も助けておる。

 何より、光秀様とは遠縁、剣を交える事もおぬしらよりも遥かに多い。」

 

長政の言葉に、ひとり、またひとりと頷き始める。

縁の情に訴えかけるのは長政も本意ではない。だが、こうするしかないのだ。

 

 

当の本人は、ただ瞳を瞑り、静かに座しているだけだ。

 

 

 

 

 

「長政様。お願いがございます。

 …私が、光秀様と刃を交えるよう布陣して頂きたいのです。」

 

昨日の事だった。

お市に伴ってきたが、長政にこう告げたのだ。

 

、本気で言ってるの!?」

「…はい。」

 

その瞳に、揺らぎはなかった。

長政は座りなおし、のほうをまっすぐに見つめた。

 

「考えを聞こう。」

「…光秀様は迷うておられます。聡明で生真面目で心優しい気質の故、

 信長様の強硬な姿勢に、いささか戸惑われる事もあるようです。

 私が行って、少々説得を試みようと。」

「なるほど。しかし万一説得に応じぬ場合は?」

「討つまでです。」

 

はっきり言いきるに、長政もお市も驚き、言葉に詰まる。

 

「相打ちでも構いません。光秀様とは幾度か剣を交えた事もございますれば、技量は

 ある程度測れます。何より、遠縁にて…情というものも、策に含むかと。」

 

まだ20にも満たない少女が淡々とそう述べていく様は、本人がそう思わなくても、

周囲はただ哀れで、いたたまれない気持ちでいっぱいになる。

 

「長政様…。」

「…お市、殿の決意は本物と見受ける。いかがいたすか。」

 

お市は戸惑ったような、泣いてしまいそうな表情を見せる。

しかし、変わらぬの瞳にお市は、

 

「いいよ。でも、私もついていくから。」

「お市!?」

「私だって、お兄様の妹…そして、長政様の妻だもん。」

「…――分かった。お市、殿。2人には光秀殿の部隊を任せた。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

、どうしたの?」

 

作戦を立て終え、人の去った広間に一人座ったままのに、お市が声をかける。

 

「…お手を、触れないで下さい、小谷方…。」

 

の身体は、わずかながら震えていた。

 

どういうわけか、にも分からない。

それなのに何故か先ほどから身体が震えて止まらないのだ。

 

、光秀様をお慕い申し上げているのね?」

「……わかりません。ただ、この刀を見ると、どうにも手が震えるのです。」

 

の腰に差してある刀は、光秀の愛刀と兄弟刀である。

上質な玉鋼で作られたそれは切れ味も鋭く、急所を突けば人を殺める事も容易だ。

 

「光秀様は…お怒りになられているでしょうか。

 恩を仇で返す仕打ちを、私はしようとしているのですから…。」

 

お市は、何も言わずただの側に座っていた。

 

の心はもう既に決まっている。

ここでお市が何かを口にしても、それはには届かないのだ。

 

 

夜露が庭の花の上に落ちる。

 

雲に隠されつつもわずかに見える月の光に照らされ、

夜露の落ちた軌跡がまるで金の糸のように光る。

 

 

 

花の上に落ちた夜露は、ただ朝の光に溶けていくのを待っている。

 

 

 

 

 

 

戦の日は、あいにくの雨だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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後足掻き

あ…れぇ?…展開として蘭丸と同じようにしようと思ってたのに、あれよあれよと

違う展開に…(汗)何となくこっちのほうが大人ですね、ヒロインちゃん。

そして早くも濃姫さん参上ですね。色っペー姐さん(笑)実はこの人の信念凄い好き。

1本筋の通ったカッコイイ女性というものには憧れますね。キーパーソンになるやも…。

 2004・4・20 月堂 亜泉 捧

 

 

 

 

 

 

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