筒井筒

 

 

 

 

「頭領、今日もいい風が吹いてますぜ。」

 

水軍の一員が話しかけてくる。その言葉にふと彼は笑う。

 

「ああ、後で船を出す」

「え、お珍しい。今すぐじゃないんですかい?」

「あぁ。今日は高貴な花を愛でに行く予定だからね。」

「はぁ、随分熱を上げてらっしゃる…。」

 

ヒノエが向かったのは、大きな屋敷。

三山検校、氏の邸宅だ。

その西の対に、ヒノエはそっと忍んでいく。

 

「潮騒の君、ご機嫌麗しゅう。」

 

そう声をかけると、御簾がするするっと上げられ、バッと人影が出て来た。

 

「またそんな事を言いに来たのですかっ。」

 

真っ赤になってそう言う女性は、

 

「ふふ、姫君の美しさを素直に言霊に乗せているだけなのに…」

「嘘をおっしゃらないで下さいっ」

「三所権現に誓って嘘は言いませんよ。」

 

可憐で愛らしい彼女は、三山検校の娘ともあり、よく見知った相手だ。

 

「熊野別当殿がこんな所で油を売っていていいのですか?」

「俺は姫に愛を売りに来たんだよ。…というか、その他人行儀は止そうぜ、?」

 

欄干に座り、の髪に触れるヒノエ。

呆れたようにため息をつきは少し表情を緩める

 

「別当の自覚を少しは持ったらどうなの、ヒノエ。」

「自覚を持って日々熊野のために尽力しているつもりだけど?」

「私を口説きに来るのがどう熊野のためなのよ。」

「別当が独り身でふらふらするより、妻を娶っている方がハクがつくだろ。」

「まぁ、言い訳の口はよく回るわよね…。」

 

ぱちん、と扇を鳴らして畳み肩を竦めるに、ヒノエは

 

「筒井つの 井筒にかけまし まろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」

「…ヒノエ…。」

「さて、俺は船を漕いでこようかな。また来るよ、俺の姫君。」

 

いつもの口調でそう言って、ひらりと軽い身のこなしで欄干から降りると、

ヒノエは手を振りながら浜のほうへ向かった。

 

 

は、ヒノエが去ってしまった事に安堵しながらも、寂しい思いを抱いた。

 

確かに、自分にも縁談の話がある。

三山検校ともあろう人物の娘が年頃になっても結婚しないのは困ったものだろう。

 

しかしながら、の想う人物は、昔からヒノエただ一人。

 

熊野の行政を担う役割で設置された三山検校は当初から形式化し、

100年近く経った今でも、行政権は熊野別当が大部分を持っている。

「閑職」とも言うべき状態のの家。

 

「中央との癒着だと、非難されるのはヒノエだと…火を見るより明らかじゃないの…。」

 

父から全権を譲られ、今や正式な別当となったヒノエの求婚を受けられないのは、

そう言った事情があるからだ。

本当の想いを押し殺し、は様々な事を一人思い悩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくしての事。

季節はもう夏に差しかかっている時分だった。

春から京に出かけていたヒノエは、『八葉』として帰って来たのだった。

 

「ヒノエ…。」

 

久しぶりに届いた彼の文には、もうすぐ熊野に着く旨の内容と、歌が一首添えてあった。

 

『熊野路や はるけき時を 過ごしけむ ゆけどかへらぬ 言の葉の木々』

 

「私が歌を苦手だという事を、知っててこんな文を送るのかしら。」

 

文を丁寧に畳むと、は御簾を少しだけめくる。

 

風はすっかり夏のもので、微かに湿り気も含んでいる。

濃い緑の木々が柔らかく日の光を包み、屋敷の池に黄金を零す。

 

その眩しさに、は少し嘆息する。

 

「このようないい天気に、ため息とは似つかわしくないね、姫君。」

「っ!?」

 

木陰にやってきていたのは、ヒノエだった。

 

「そう屋敷の中で思いつめるからそうなるんだ。我らが白龍の神子姫は、

 こちらが驚いてしまうほど前向きだよ。」

「…熊野別当殿、貴方は八葉になられたのですから、不用意に神子様の御傍を離れては

 ならないのではないですか?」

「おや、つれないな。」

 

相変わらずのヒノエの態度に、拍子抜けしてしまうと同時に幾許かの安堵を覚える。

 

「神子様を気に入ったのでしょう?可憐で魅力的な姫君だと。」

「それはね。神子になるだけの事はある姫君だよ。」

 

ひらりとまた欄干に座り、ヒノエはの瞳をじっと見つめる。

 

「でも、俺には少し綺麗過ぎる。余りに無垢で純白で、こちらが責められているみたいだ。」

「ヒノエには心疚しい事だらけだものね。」

「…言ってくれるな。」

 

ヒノエの『前科』を知るはそう意地悪を言うと、くすくすっと笑い始める。

最初は憮然としていたヒノエも、表情をふっと崩す。

 

「やっと笑った。」

「え?」

「姫君はそうして笑っていた方がいい。少なくとも俺の前ではね。」

 

ぱちっ、と意味ありげにウインクを送るヒノエ。

思わず頬を染めてしまうに、ヒノエは満足そうに視線を向ける。

 

「さてと。そろそろ本題に移ろうかな。」

「本題?」

「ああ。」

 

ヒノエはふと表情を真面目なものにし、相手を真っ直ぐ見つめる。

 

殿から聞き及んでるかもしれないが、今、源氏と平氏の戦いはこの熊野に

 かかっていると言っても過言じゃない。

 源氏は今白龍の神子がいるために、地上での戦では優位に立っている。

 しかし平氏には水上の戦いには滅法強い。今の源氏でも、水上じゃ勝てる見込みは薄い。

 そこで白羽の矢が立つのが、今だ中立の姿勢を持つ熊野水軍だ。」

 

そこで一区切り置くと、ヒノエはふう、と息を吐いた。

縋る子犬のような、揺れる瞳を一瞬に向けてから、再び話し始める。

 

「俺は源氏にも、勿論平氏にも組する気はない。

 源氏が確実に勝つ見込みもないし、今更平氏に頭を下げる事はしたくない。

 何より、この熊野を戦場にする事だけは、何としてでも避けたい。」

「…ヒノエ。」

「守りたいんだよ。何の為に親父から別当の座を貰ったかって、熊野を、

 大事な故郷と大事な人を守りたいからだ。」

 

欄干から降りたヒノエは、の身体を抱きしめた。

その身長は、が思う以上に伸びていて、力もしっかりしていた。

 

「俺は八葉だ。きっと俺だけでも、神子のもとにいなくちゃならない。

 それでも、を守りたい気持ちは、小さな頃から一切変わっちゃいない。」

 

役職に縛られながらも、ずっと自分を見つめ、想ってくれていた相手。

幼い頃から想いあっていたのに、大人の柵に囚われていた。

 

相手は、そんなものは関係ないと、幾度も柵を払ってきてくれたのに。

 

「……。」

「…やれやれ、貝にでもなったのかな、の口は。

 俺がこんなに一生懸命になって言っても、返事は無しか。」

「そう言う事じゃ…なくて。」

「なら、もう一度送った方がいいのかな?」

 

ヒノエは長く美しい艶のあるの髪に触れ、

 

「筒井つの 井筒にかけまし まろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」

 

そう詠うと、は恥ずかしさに頬を染めながらも、こう返した。

 

「くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ きみならずして 誰かあぐべき」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、暦が秋になろうとする頃、ヒノエは源氏の神子と共に旅立つ事になる。

しかし、その時を思い悩ませるものは、一つだけだった。

 

「無事に帰ってきてくれるだけで、十分だから…。」

「ああ。勿論。俺の愛しい人を悲しませる真似はしないさ。」

「うん。」

「烏に文を持たせる時は、『我が最愛の妻に至急』で運ばせるよ。」

「ヒノエっ…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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後足掻き

ヒノエ第1作目は幼馴染設定です。かの有名な伊勢物語の筒井筒をまるっと引用(笑)

あ、でもヒノエが送ってきた文の歌は創作です。色々違いますが和歌が苦手なので

大目に見て下さい(オイ)意味合い的には、『永い時を過ごす熊野路のように、貴女に

送った歌は増えるばかりで(ずっと待っているのに)返歌が来ませんね。』という意味を

持たせたかったんですが。あー、才能ねぇっ(泣)

そのほかの言い訳はブログにでも書きます…。はい。

 

 2007・6・19 月堂 亜泉 捧

 

 

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